1909年(明治42年)2月28日に塩狩峠付近にて旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という人物が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。(Wikipedia参考)

注)究極的にいうなら、彼が自らの身を線路に投げることによって、電車を止めようとして身を投げたのかどうか私にはわかりません。でも私は彼がどのように死んだかではなく、どのように生きたのかを語りたいと思います。彼は常に殉教を意識し、毎年遺書を更新しそれをいつも身につけていたといわれています。

死ぬ間際に死を覚悟したのではありません。彼は生きている間、ずっと死を身に帯びた生き方をしていたのです。

その生き方こそまさに驚異的な献身です。