とりなしの祈りの本質は、いった何でしょうか。どうして私たちは祈らねばならないのでしょうか?
創世記(1章26−28節)にあるように、この地上を治めるために神は人を自分の似姿に作られました。
けれども人が神との契約を破ったために、地上の支配権が一時的にサタンに移ってしまいました。そのことはマタイ4章9節でサタンは地上の支配権を主張したにもかかわらず、イエスはそれを否定しなかった事からもわかります。
しかし、キリストは十字架の死と復活によって、この支配権をサタンから取り戻し「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:11)と宣言されました。ですから、現在サタンにはもうこの支配権はありません。
ですから、彼がこの地上に居座ることができる理由は、人の罪を足がかりにしていることと、人に対する神の哀れみ故に(注釈)時が伸ばされている事と人の罪を足がかりにして居座っているだけなのです。
つまり、戦争にたとえるなら、すでにその国に対して勝利しているにも関わらず敗戦国にゲリラが非合法(戦争にもルールがあるので)に活動しているだけの状態といえます。
聖書を見る時に「仲介者」と「とりなし手」が、同じ意味として使われている事が分かります。ヘブライ語で「仲介者」は(メリーツ)その意味は「代弁者」=とりなし手という意味です。
天と地をつなぐ存在が仲介者であるという観点から言えば、地上で最初のとりなし手はアダムでした。神はこの地上におけるすべての権威を神から譲り受けていました。もちろん何でも好き勝手なことをしてもよいわけではありません。自分に与えられた範囲内で自由だったのです。
その自由とはどれほどのものだったのでしょうか。彼は物事を決定するときに、自分の分を超えたことをしてしまうのではないかと心配ではなかったのでしょうか。
(創世記2:19) 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
これは、どういう意味でしょうか。
アダムは自由に動物に名前をつける権威が与えられていました。彼はいちいち神様に「この耳の長い生き物の名前はウサギにしていいでしょうか?」などとお伺いを立てていたわけではありません。それどころか、神様はアダムがどういった名前をつけるのかを楽しみに見ていたのです。
ただ見ていただけではありません。もっと早く見たかったので神ご自身が生き物をアダムの前に連れてきたのです。
そうアダムに与えられていた自由の範囲というのは限りなく広いものでした。
実際にアダムがしてはならないことは「2つの木からとってその実を食べること」だけであり、それ以外には何の規制もなかったのです。
1コリント15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
神であるイエスが人としての性質を持たれたのは傷のない完全な私達の罪の身代わりとなる為でしたが、さらに、その事柄を「とりなし」という観点で見るなら、彼が人となられたのは「人」を仲介者とする事が神の最初からの計画だった故なのです。
人という単語はヘブライ語で「アダム」です。
その一度定められた法則を変えることをなされないという原則は、エステル記の中にも見出すことができます。エステルが王の好意を受けてハマンが処刑された後にも、ユダヤ人絶滅命令は取り消されませんでした。
一度定められた法令は決して取り消すことができないからです。
それよりさらに優れた法令が発布され、それによってユダヤ人は勝利したのです。
それはちょうどローマ8章2節にあるように、死の原理が命の原理に飲まれたようなものです。
この事柄は「人は死に定められているが、キリストによって永遠の命が与えられている。」ということを説明するために引用されますが、原則が変わらないというのは、人があくまでも仲介者であるということにも見られるのです。
「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20章21節)
そうです、神はキリストがされたように祈りを通じて天と地をつなぎ、破れ口に立つ役割を人に与えられました。
だけど好き勝手なお願いをしていいというわけではありません。アダムは、この地上における唯一の代表者であったがゆえ、彼は物事を自由に決める権威が与えられていましたが私達はそうではありません。
キリストが唯一の仲介者(とりなし手)(1テモテ2章5節)であると書いているように、第一のとりなしてはキリストであり、、私達はキリストが定めた範囲内で、その役割の一部を譲渡されているだけなのです。
ですから、とりなし手としての最も重要かつ基本的な姿勢は何を祈るのか、どのように祈るのかを「神から聞く」ということです。
この続きはこの一週間のデボーションのテーマを通じて少しずつ見ていきましょう。